働くことは生きることです・2

3月31日の朝の太陽は眩しかった。相変わらず寒い日だったけど、朝日はほんのり暖かかった。午後3時代の配達分まで製作・ラッピングが終了していた。

前の日の夜に、半分「ニート」状態の弟を配達要員として呼んだ。笑顔もないし、挨拶もろくにしない、人相の悪い弟だが、運送屋経験があるので配達は上手いし早い。姉である私の指示をいち早く理解する。絶対服従、ありがとう(笑)

ただ、店長(25歳)の親はそういうわけにはいかない。50を少し過ぎたくらいだが、なかなか理解が遅い。同じことを何回も聞く。本人は一生懸でもなかなか要領を得ない。分からない事があるたびに、彼女の携帯が鳴る。手が止まる。大変だった。

今までになかったことが起きた。作成済みの花束の水が下がっていた。作り直しだ。また、車に積んだ花束が落ちて傷ついた、それも作り直し。それ以外にも、作成してあるのに、置き場所がわからなくて、ダブって作ったり・・・・・・。

バタバタだった。ご飯を食べる暇なんてなかった。いよいよ3時を過ぎると。5時までの配達が間に合わなくなりそうなほど、追加の注文が後を絶たなかった。例年そうだが、当日注文がきつい。頼み忘れていたのはまだわかるけど、増えるのはよくわからないね、とよく店で話していた。「辞めてやるっ!」っていきなり言うのかな~?(笑)

とにかく、5時近くにあちらこちらから「まだですか?」の電話が鳴るようになり、自分たちの車も出して配達に回る。最後に水産課はもう、ダッシュで手運びだ(汗)

全部の配達が終わった後、私たちは放心状態だった。後片付けする元気がなかった。昼間ずっと不在だった家の配達には後輩に行って貰った。

夜に反省会をした。

売り上げは例年より、若干プラス。クレームもなかった。配達も間に合った。結果としては「なんとかなった」。けど、内容が悲惨だった。

店長の子が泣き出した。自分の「段取り」が悪かったと。

確かに段取りも悪かった。私も、自分が必要とされていないと思い、段取り云々に口出ししなかった。それ以上に、オーナーの花の手配が悪すぎた。そして、直前になって、人員まで奪っていった。私たちの頑張りにだって限界があった。

5年間もかわいがってきた後輩が、この支店の店長になって最初の「イベント」を、こんなかたちで終わって、本当に申し訳ないと思った。

今までは○○ちゃん(私)がなんとかしてくれると思って甘えていた、と言われた。その私がプライベートがバタバタなせいで(彼女はそのことを知っている)、ちゃんとサポートできなかった。

私、死んでる場合じゃないじゃん。

3月31日が終わったら・・・・・・・・・・・と考えていた私に容赦なく、次の日も、その次の日も・・・・仕事は入り続けていた。

働くことは、生きることです。

ドラマの意味とは違うけど・・・・・・・・・・・・・・・・・・私、生きなきゃ。

この悔しさは、「母の日」で晴らそう。 店長の子と二人で誓った(笑)

「本店」には負けない!

私はそうやって、自分の中の地獄の崖っぷちから、1歩も2歩も後退した。

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働くことは生きることです

「働くことは、生きることです」 

かつて某テレビ局で放送された”ハケンの品格”。主役の大前春子(篠原涼子)のセリフ。私はこの言葉が好きだ・・・・・・というより「そうよね」と同感した。

ノイローゼ状態の私の現状は続いたが、例年通り、3月末が近づくと結婚式の件数も増え、3時近くに帰る日が続く。何をしていても、HAのことが頭から離れないのは変わらないが、ごく稀に私の好きな花を使い、好きなデザインを十二分に発揮できる注文、婚礼装花がまわってきた。ユリ(カサブランカ)やアンスリューム、ラインのでる葉物、トルコキキョウ、デンファレ、アジサイなど、かなり大人っぽいデザインだ。

夢中になる。深夜遅いが妥協もしない。感性を研ぎ澄まそうと集中する。スピードも気にする。

出来上がった作品は久しぶりに出来が良かった。写メをとってHAに送ってみる。返信はない。きっと忙しいんだろう。でも気にしなかった。いい仕事ができたことにホッとしていた。

そして3月30日(月曜日)。本来ならば、県庁から送別会用の花束の注文の電話が鳴り止まない日だ。石川県警退職者用花束110個の製作は昨夜に済ませた。準備は出来ていたが、注文が入らないようでは始まらない。

なにか手を打たなきゃ・・・・・。疲労困憊の脳はフル稼働する。総務課の棚にビラを配ることを思いつく。時刻は午後3時過ぎ。県庁の臨時職員の経験から、あと1回はもう一度庁内を回り、総務課の棚に届いた郵便物等を取りにくるはずだ。それまでにビラを入れさせてもらおう。 

私は大急ぎでビラを作成し、近くのコンビにでコピーして県庁に走る。はあはあ息を切らして、5階総務課の棚へビラを入れて回る。すでに注文を頂いた部署には入れないように気をつける。

店に帰ってきてから、少しづつ注文は増えていった。「ビラを見ましたよ」という言葉があった。今まで注文がなかった、土木部港湾課なんかもあった。しかし、今まであった部署がない。「財政課は?秘書課は?それより、中央病院は?看護学校は?」神経はぴりぴりしたままだ。

そして、31日分の作成に入ろうとするが、ここでとんでもない事態になった。

「花がない(入荷しない)」

昨年は、使いきれなくて「水揚げ」すらしないで倉庫のストッカーに箱のまま置いた花があるほどだったが、今年は真逆で、昨年と同じボリュームを出せる花がほとんどない。5,000円の花束のボリュームを維持するためには、長さや、輪の大きい花は残さないといけない。そうすると3,000円クラスの花束が短くなったり小さくなったりする。

花材の配分に悩む時間がもったいなかった。それでも、配達時間の早いものから順番に作成する。入って半年の若いスタッフには、県警用の花束のラッピングをしてもらう。なかなか早く出来ている様子がない。後の100近い花束・アレンジメントの作成は私を含めて二人で作る。1人、本店にとられてしまったので、人員も少ない。

昨年より状況が悪すぎた。人が足りない。花がない。昨年だって「ギリギリ」だったのに・・・。そして、県庁やその付近の配達は今まで4年間、私一人でまわった。例年、私は婚礼と当日の配達を回ることがメインだった。

本店からしてみれば、目の前にある県庁の配達ぐらい・・・・だと思われているが、ここが落とし穴で、なんせ3月31日は、県庁内が”大騒ぎ”の状態だ。エレベーターがこない(笑)  配達先の部署の位置が西側、東側かを把握していないと、机や椅子を廊下に出して部署替え、模様替えしている中を大きなダンボールに花束を詰めて動き回るのは、大変なこと。意外に時間がとられる。この3年、団塊の世代の退職で、花束の依頼数は桁違いになっていた。 そして、ヒマな(苦笑)警備員はいちいちうるさい、非協力的だ。昨年は、とうとうキレて(笑)、「今から100個以上配達したいんです、協力してください!!」と言い、佐川急便のおじさんの口添え(応援)もあって、搬入口に大量の花束を置かせてもらった。

そのきりきり舞いの配達を、今年はお店の店長の親がすることになっていた。これも、後から考えれば”失敗”だった。

もちろん「一睡」もできない。例年通り。でも、失敗できない。売り上げ落とせない。例年通り(笑) 

 

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地獄に落ちるということ

父親と喧嘩した。協議離婚合意書を持って実家に行ったときだった。その合意書の内容が先ず納得がいかないようだった。つまりは私の「取り分」が少なすぎた。私は不倫の謝罪の意を込めて少なくしたので、親に納得してもらえるはずがなかった。そのことは、またその合意書を作り直すことで話は一旦保留になった。

喧嘩の理由は、離婚後のことだった。

しばらくこの土地を離れて静かにしていたいので、東京に行く、という私の考えが気に喰わないのだ。なんで家に戻ってこれないのかと。

家に帰りたくない。

私は昔から「家にいない子」だった。そんなに家が好きじゃなかった。「家」「家族」というものに執着がなかった。べつに、嫌いとかではなく、何しろ居つかなかった。高校を卒業してすぐ東京で働き始めた。しばらく実家に戻って短大を出て、また東京に出た。私は「あちら」の生活が好きだった。体調を崩したのと、家庭の事情で東京から引き上げてきたが、本当はずっと東京にいたかった。

その態度が気に入らないのだ。かわいくないのだ。

親に対して申し訳ないという気持ちがあったら、頭下げて家に帰って来い。というのが父親の意見だった。私はヒステリックに泣き叫びながら「帰ってきたくない」と言った。

何であんなに泣いたんだろう。想いが通じないと思い、悲しくて仕方なかった。私は確かに、親に対して申し訳ない思いでいっぱいだった。毎日が自分を責めることの連続だった。どうやって、親に少しでも「返して」いけばいいのか、お金を、その思いを、わからなかった。

でも、HAの煮え切らない態度、親へ本心を打ち明けていない現状。苦しくて、自分が何を言っているのかわからない。

初めて、東京へ行くんだという決心が萎えた。

どうしたらいいのかわからなかった。どうしたのかもわからなかった。

「お前は素直じゃない!まだ腹を割ってない!」

父親から言われたことは、正しいと思った。

自分でもノイローゼだと思った。何を食べても消化・吸収していないのか、体重は少しづつ減っていった。

コンビニのバイト先で、本部の指導員に言われた。

「どうしたんですか?あなた、悲しい顔をしていますよ」

作り笑顔で答える、「そうですか?」

立っているのが精一杯だった。

地獄に落ちたと思った。地獄は自分の中にある。一人でどんどん落ちていって、這い上がれない。私は初めてそれを知った。

地獄は自分の中にある。

なんの希望もなかった。楽しいと思える一瞬すらなかった。

私はすべてを失う。財産も、何もかも。そして、HAも。私はかわいくない。素直じゃない。もう花の仕事も私を救ってくれない。眠れない。食べたくない。しゃべりたくない。

生きていたくなんかない。

もう将来に何の希望もない。

本当は一人で生きていけない。

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転がる石のように

ホワイトデーが来た。父親は家の裏にそっと「お返し」を置いていった。趣味である「絵手紙」には、ツバキの花と、あなたの笑顔がみたいという言葉があった。心は痛み、引き裂かれそうだった。

父親から手紙も届いた。もっと謙虚に、素直になれと。(家を建てるときに200万円ももらった)叔父・叔母に素直に相談できるようになれと。

意味がわからなかった。旦那と夜の生活が出来なくなった、「この人の子供が欲しい」と思えなくなったことを、どう言えばいいというのだろう。もっと早く相談して欲しかったと、何度も言われた。どうして親に「エッチがいやで」と言えるのだろう。友達に言えても親にいえない悩みがあって、それがどうして「ダメ」なんだろう。私は物心ついたときから、「おかあさーん」となきながら甘える子ではなかった。私は「できる子」だと思われていた。私の判断や考えは、時に親の考えを凌ぐ深さがあると思われていた。私は賢くて、責任感があり、他人に対する洞察力も優れ、大人を「負かす」ほど口がうまかった。大人から見て「手ごわい、鋭い」子供だった。

つまりはかわいくなかった。でも、話は面白く、性格は明るく、家族の中心で、どんな悲しい現実も、家庭間・家族間・親戚間のトラブルも、客観的に冷静に見つめて意見した。自分に言い訳をするのを嫌った。他人のそういう姿も、親が自分に言い訳する姿もきらいだった。

だから、言えなかった。自分の結婚が失敗だったとは。本当は好きで仕方ない人がいて、結婚前に両思いがわかって動揺していたことも。その彼と一緒になるより、今の旦那と結婚した方が幸せになれると判断した自分を押し通してしまった。いろんな人の「結婚観」、特に母親の結婚観を、かなり鵜呑みにしていた。自分の本心を隠したまま・・・・。

それが、こんな情けない事態を招いた。人の心、つまりはだんなの心を欺いた私の「罪」は大きかった。でも、これ以上両親を傷つけたくなかった。HAの存在は隠し続けることを守った。旦那には、性癖を対抗馬に言わないように牽制した。

旦那はエッチに「道具」を使いたがった。アダルト系の本やDVDは山のようにあった。私にそれを強要した。そのことを持ち出した。そういう話を双方の親に言わない代わりに、私の不倫を言うなと、脅したようなものだった。

心が痛んだ。

「鬼になれ」

私は自分に言い聞かせた。私が土下座したところで、HAをここへ引っ張り出すことは不可能。それならば、力づくでねじ伏せるしかなかった。その後の「泥」はかぶる、いくらでも。でも「離婚届」が提出されるまではどうしても隠し通さなければいけないと、心を鬼にした。

3月に入って、安らかに眠れる日はなかった。どんなにクタクタに仕事で疲れていても、お酒を飲んでも、眠れなかった。寝ても3時間もしないうちに目が覚めた。精神は少しづつ破綻し始めていた。

たまらずHAにメールした。詳しい内容は避け、離婚の話が進み始めて毎日が辛いと。あなたの名前がでそうで怖いと。でも出さないように最善は尽くすと。

彼からのメールはこうだった。

「大丈夫か?俺のほうは正直、家庭はいたって静かな状態。 とかく仕事がてんてこまいで、正直何も考えていないに等しい状態だわ。 かみさんも忙しく、4月の昇任も決まって、慌しくしている。一時、険悪になった後は、一生懸命に家のことや難しい本も見るような努力もし、どんなに遅く帰ってきても、起きて飯を作るようになってる。

いじらしいな。見てるのが辛いくらい。

そんなよくわからん毎日に慣れてきたのは正直なところ。 今はあんまり考える余裕もないが、この先どうなってるのかが想像つかなくなっている。 

4月には異動でまた忙しいポストが予定されていて、畑違いの仕事なんで、当面は勉強で忙しくなるし。

正直、今の○○(私)になんて言えばいいかわからない。

みんな俺のせいなのに、訳の分からない事を言って本当にごめん。

○○が大好きなことに変わりはないし、誰よりも好きだけど、今はこれが精一杯。」

正直すぎて、残酷なメールだった。ぶっ倒れそうだった。恐れていたことは確実に現実になっていると思った。これからすべてを、家も土地も仕事も将来も何もかも失うことを目前にした私は、あちらの夫婦が二人そろって「昇任」し、生き生きと仕事をする現実が残酷に思えた。収入の格差ぐらいのレベルじゃなかった。

それでもこの頃のメールはまだ、私の体調を案じてくれていた。

私はかつてないほどの風邪を引き、1週間も高熱にうなされて仕事をした。

それでも、まだ地獄への入り口にしか過ぎなかった。

忙しいのはわかっていた。仕事の責任の重さも承知していた。ただ、私は・・・・・・・・・・私は、その少なくなったメールのやり取りのかみ合わなさや、「早くひと段落して会いたい」とか「声が聞きたい」とか、そういった言葉がなくなったことが、辛くて仕方なった。

あんなに、メールが多かった日々、それが一転、今年に入って明らかに様子がおかしくなった。私は彼の心境の変化についていけなかった。そして私の身辺は辛辣すぎた。

何も考えたくない。ただただ、眠りたい。なにも心配しないで。安らかに。夢なんて見たくない。深い海のそこにいるかのように眠りたい。

私の願いはそれだけだった。

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離婚のプロ

世間は広い。そしてとんでもない趣味を持つ人間もいる。

私は友人からその方を紹介された。ここではM氏と呼ばせてもらう。

彼は「離婚のお世話」を、なんと趣味にしている。セミプロだ。弁護士の友人などもいて、彼自身もかなり勉強しているので、相当に詳しい。そして、公務員であるためお金は支払う必要がない。彼はそんな「異色」な趣味を本業並に熱を入れている「奇特な存在」だった。

彼にことの内容を説明した。彼曰く、私たちには子供がいない、家や土地の取り合いがない、住宅ローン以外に借金がない。お互い離婚に同意している、と言う理由から、離婚のケースとしては非常に穏やかで簡単だと言った。ただ、その不倫を表沙汰にしないように話を進めることが「ネック」であると。そう。私はそこで失敗できない。だから、あなたに依頼させてもらったのです。この修羅場をかいくぐる方法を。

M氏に私は言った。離婚理由は「東京の彼(HAのことをそう話している)が理由ではありません。あくまでも、旦那との相性・将来性です」 私の考えに揺らぎはなかった。「だから、東京の彼のことは別に考えています。」

M氏は私の話を聞いて言った。

「あなたの考えは正しいと思います。あなたは頭がいいと聞いてます。理性もあり、私が話そうとする内容も察しがついているようですね。しかもいろんなことをよく調べているようですし、理解も早い。 確かに、東京の彼とのことは別で考えて、離婚を進めましょう。私は離婚を止めることも、勧めることもしません。あなたの意向に沿うだけです。これから、二人で会話を進めるにあたって、感情的になって言ってはいけないことも口走ってしまうかもしれません。人間は感情の生き物ですからやむをえないことです。どんなことも、逐一私に報告してください。メールでもいいです。その都度、私が、次その話題が出たら、そのことに触れることがある場合はどういう風に言えばいいか、対処すれいいかをアドバイスさせてもらいますので。私は今まで何十件も離婚を取り扱ってきました。まあ、物好きというか趣味みたいなかんじですが、専門家に相談していますし、合法的な範囲であらゆる「方法論」を教えてあげられると思います。」

そして、彼は続けた。

「あなたのような”W不倫”のケースで、男性側が離婚したパターンはまだ一件もないわ。結局男の方が弱いからね。女性は強いし、踏ん切りがいいから・・・・・。」

「これから、精神的にしんどくなることがいっぱい出てきます。無理しないで、我慢しないで何でも言って下さいね。私でよければなんでも聞いてあげますから・・・・・。」

最後の方は、M氏が何を言っているのかわからなくなっていた。

「男側が離婚するパターンは1件もない」

何十件も取り扱ってきた彼が言う一言は重かった。それでも、私は毅然としていた。彼とのメールのやり取りの内容が、だんだんあやしかったとはいえ、まだどこか他人事だった。

「これから宜しくお願いします」と頭を下げ、土地建物の名義変更の手続きなどの話を聞いた。住宅ローンの「連帯保証人」である私は、離婚後もその「債務」は免れないため、そのことについての「回避方法」についても話し合われた。

今思えば、そんな連帯保証人云々の話なんて、たいした問題ではなかった。

「一件もない」

その現実を私はまだ、よくわかっていなかったのだから。

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離婚~序章~

近頃、うちの両親、相手の両親が疑いをもち始めている・・・・・・・・・ことは、ひしひしと感じられていた。私たちの不仲があらわになっている現状ではいたしかたがなかった。

とくに旦那の母親にはしつこく「ご飯食べにきて」と誘われていた。うざったかった。その義母からお月謝を頂いて習っている「お茶」は、2月いっぱいでやめることにした。やめると思っているのは私のほうで、先生は「仕事で忙しいからちょっとお休みする」と思われている。旦那との関係がここまでにいたっている以上、もうこれ以上「お金」を頂いて習い事をするわけにはいかなかった。本当のことを言えないから、仕事という言い訳で逃げ切ったが、それでもしつこく義母は「お月謝」を渡してきた。  毎日が息苦しい。どんなに多くの友達にその現状を話したところで、そのときは気が休まるが、「離婚」は現実にはならない。

3月3日、雛祭り。私の母親はお雛様弁当なるものを買ってきて私の家に来た。もう今日話すしかない。

先日、旦那に意思確認をした。あれからずいぶん「離婚」について話をしてこなかったので、彼が私に対して「未練」があるのかどうかもわからずにいた。

未練なんてないようだった。準備ができたら出て行って欲しいと言われた。家は彼が所有し続けるので、貯金はすべてもって行っていいし、家具も欲しいものは全部持っていけばいいと言われた。正直少し安心した。引越しの費用はもちろん、私の親に(家を建てる時にもらった)お金を返す目算もあったので、花屋の仕事以外にコンビニのアルバイトを始めた私だったが、その貯金を使っていいとなれば少し楽にはなる。ただ、私の親からもらったお金が高額であるため、それを全額返済するにはまだいたらず、足りない分は私が、時間がかかってでも返済するつもりでいる。

ただ、人から、住宅ローンの「連帯保証人(=今の場合私)」は、離婚しても保証人であり続けるので、その手続きが難しいと言われていた。そのことも旦那と話していた。私には迷惑をかけないようにすると・・・・・・・・。

お母さんに離婚の話を話すのは骨が折れた。何しろ「いい(歳の)おばさん」は人の話より自分の話をしたがるもので、なかなか素直に聞いてくれない。私は母親にわかって欲しくてこの話をしたのではないと、報告にすぎないと、どの方向を向いても頭が上がらないと、みんなによくしてもらって、応援してもらって今の生活があるのに、こんな情けない結果になって辛いと。もちろん、HAの話はしなかった。それどころじゃなかった。

母親は驚いていた・・・・・・・・しかし、でも、「なんか怪しい」と思っていたから、合点がいったようでもあった。親に話せるギリギリのところまで話した。確かに、私みたいな「程度」の不満を抱えながら夫婦として生活をしている人は”ゴマン”といると。予想通りの返事が返ってきた。「それがそんなに、つまり離婚するほどのことか」、と。HAのことを話していないから、どうしてもそういう風に思われることはしょうがなかった。でも、まだこの状況でHAのことを話せる感じではなかった。結論を出す前に言って欲しかったといわれた。なぜ、そんな最悪の状況になっているのに、まだ一緒に生活しているのか、そのほうが「怖い」と言われた。当然だ。確かにおかしい。普通なら、実家に帰って来るとかなんとかするものだと。

仕事の「辞め時」、貯金の溜まり具合、など、私の都合のいい「タイミング」を計っているから、こんな変な事態になっているわけで、そのことを説明するのは難しかった。 家を建てていなければそうしたかもしれないが、立派過ぎるほどの家があるので、簡単に「私別れるかも~」なんて話もできず、実家にも帰れなかったと。

親は、”わが子かわいさ”にこう言った。

「○○ちゃん(=私)は、頭の回転もいいし、だからあの子(旦那)と一緒になるときはすごく変な感じがした。結局価値観の差ってことやね。どうして、あんたみたい頭の切れる子が、(学力が低い・・・・とは言いにくそうだったが)あんな子と一緒になろうとしたのか、どうして、何でも見抜いてしまうあんたが、そこを見抜けなかったか・・・・・・・・」

つまりは、私の「ミス」を指摘してきた。いつだってこうだ。私の選択に「誤り」があってはいけない・・・・・みたいなことを言われてしまう。結婚相手はその最たるもので、仕事先の選択、あらゆる人生の選択を誤ることを「あなたらしくない」と言ってくるのだった。

「私があの人を見誤ったというより」、と私は答える。

「私が自分の結婚相手に何を望むか、何が譲れないのかを見誤った。つまりは、自分がわかっていなかった、と思う。」

そう、そういうこと。

恋愛が上手くいっていなくて、自分に自信がなかった20代後半。私みたいな生意気な女なんかと一緒になろうなんて男は一生現れないかもしれないと真剣に悩んだあの頃。今の旦那に対して、「私のすべてを受け入れてくれている」と勘違いしていたあの頃。本当はとても気が弱くて、受け入れてくれているのではなく、言い返すこともなにも出来ない”無抵抗”の状態だったということをわかっている、現状。 彼は優しい人じゃない、弱い人間だと。

母親は力を落としたように帰って行った。申し訳なかった。

ごめんね、ごめんなさい。こんなかたちで金沢を去るなんて。

私は、

私は、

親不孝な娘です。

お父さん、お母さん、本当にごめんさない。悲しませて、ごめんなさい。

孫を産めなくて。

近くにいることもできなくなって・・・・・・・・・・・。

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動き出したもの

ここでは、あえて「サラリ」と言わせて貰う。

私はB型肝炎のキャリアだ。生まれつきである。感染源は母親で、母方の祖母も肝不全で亡くなった。まあ、死ぬときは何かしら病気なんだしそんなことはそんなに気にしていない。

父親も発病し、弟たちも発病し、最後に母親自身も発病して、4人は完治した。なぜか私だけが未だに発症していない。中途半端に強靭な肉体と精神力を持つのか、病気にもなかなかならない。病気になんかになる自分がキライだからだ。

自分がキャリアだと知ったのは、19歳の冬。彼氏を3ヶ月も入院させるほどにしてしまった。このときの辛さは、その若さも手伝って、計り知れなかった。

その後にも一人、入院させてしまった。しかし、一人目のときの経験から、「する前」には相手にその可能性を伝えて「して」たし、発症してすぐわかったので3週間の入院で済んだ。

私に「自由恋愛」はないと分かっていた。正直、辛い。結婚のときも旦那に、注射を打ってもらい予防してもらった。だから、旦那は感染していない。

私も、心労や極度のストレスが溜まると、この肝機能が低下し、身体がだるくなり、寝ても寝ても眠い状態が続く。でも、しぶとく発症しない。発症して「抗体」ができてしまえば、誰にもうつさなくて済むのに。

結婚して、半年後。私はHAと「未遂」に終わったことがある。まさか、彼が求めてくるとは思わず、深夜遅くまで飲み明かし、予約してあった小さいビジネスホテルに泊まれなかった私は、彼に誘われるように「ワシントン(ホテル)でいい?」と言われ、まだ「2部屋別々に泊まる」と勘違いしている私に「お前、ダブルじゃだめなの?」と言ってきた。「ツインってこと?」と聞きなおす私。結局同じ部屋に泊まった。いろんな話をしていた。本当は両想いだったことをお互いに確認した。 初めてキスをした。出会ってから5年を経過し、私は既婚者で、彼には彼女すらいない状態だった。

「今日は旦那のことは忘れて」そう言われて、押し倒されるも、私は「寸止め」した。

「不倫」に対する拒否反応もあった。まさか、そうなるとは思わなかったという、30のオトナと思えない「思慮のなさ」もあった。なによりも、「(病気を)うつしてしまう!!」という、最後のサイドブレーキがあった。

彼は、今の奥さんと付き合いだした。そのことがあってから2ヶ月もたってなかった。あの頃、私は真剣に離婚を考えていた。それなのに、あっさりと彼女を作った。彼は彼女がいない寂しさから私を抱こうとしたのだと、やつだって男だから、酒の勢いでそうなったと、私は判断した。彼の気持ちは本物なんかじゃないと。だから、簡単に彼女を作った彼が憎らしかった。 私はその後、3ヶ月以上、旦那と「できなく」なり、身も心もボロボロだったにも関わらず・・・・・。

そこから4年、ほとんど連絡を取らなくなったHAと二人きりで会って、「そういう関係」になって、彼との付き合いをやめなきゃと思った私は、「B型肝炎」のことを、PCメールで告げた。そんなに暗い感じ、無意味に重々しくならずに、淡々と、「20代は大変だったんだよね~・・・・・・・私」風に。

私の予想以上に彼はこのことを深刻に受け止めた。病気がどう、というより、自分と「寝てくれなかった」理由がそこにあるとは、思いもしなかったのだから・・・・・。あの時「寝て」いれば、確実に状況は違っていた。彼は、自身を拒まれたので、身も気持ちも引いたという。

ああ、今ならわかる。彼はモテる男で、でもそこまで軽率な男じゃない。簡単にホテルには誘わなかっただろう・・・・・。うぬぼれではなく、彼の返信メールに、彼の彼自身を「俺はなんて考えの浅い男で・・・」と自責の言葉の数々・・・・・。

彼は悪くない。そして、ある意味私も悪くなかた。タイミングがどんどん「悲しい」方向にしか合わなかったのだから。

じゃあなんで今、彼と「してる」のかって!?

肝機能が安定して、数値が低いから・・・・・というのが理由。でも、本当はどんなに数値が平均(正常者)より低くても、キャリアはキャリア。ゼロではない。そのことはわかっていても、彼との肉体関係を絶てない。彼を失いたくないから、そうしていたいと、この汚染源である身体が望むから。性欲じゃなくて、もっと・・・・・強いもの。確かなもの。

HAの仕事がすごく忙しくなって、睡眠不足が続き、寝ても疲れが取れない云々・・・・・・のメールが来る度に、私の心は縮みあがった。何度も、メールで「うつしてしまっていたらどうしよう・・・」という内容を送った。彼はいつだって否定した。確かに健康診断も大丈夫だった。でもその後に12月末に名古屋で、2月最初に東京で会ってることも心配だった。

2月の半ばを過ぎた頃、名古屋でまた会った。前回東京で会ってから2週間だった。彼は、東京で会っていたときより元気そうだった。また、二人の気持ちが近くなっていることがうれしかった。

ホテルのテレビから流れるニュース。舛添氏の顔と供に、肝炎の治療に(健康)保険適用云々の話がでた。私は「今だ・・・」と思い、「4月になって、ちょっと落ち着いたら、注射を打って欲しい・・・・」と告げた。保険適用がないので、1~2万円の費用もかかると。お願いします、と頭を下げた。彼の顔を見るのも辛かった。

「お前も大変だな~」 彼は呑気に答えた。

「その「注射」、痛いの?腕の裏側?どっち?こっち側は痛いんだよ・・・・・」

彼は、職場の健康診断で採血しただけで、ぶっ倒れる「常習犯」であり(苦笑)、注射はだいの苦手ときている。

「わかったよ」と、彼。

初めて、なんか心の「つかえ」が取れた気がした。私たちは、その9年という歳月を、心の距離を、都会人と田舎人の価値観の差を、男と女の感性の差を、少しずつ近づけていると思った。 彼は簡単に「わかった」と言う人間じゃない、ある意味非常にめんどくさい。でも、そういう彼だからこそ、「歩み寄り」は確かなものだった。それがどんなに小さなものでも。

夜遅くまで、しゃべりにしゃべった。彼のほうから、「話、終わんねーな(苦笑)」と言ってきた。格差社会、派遣切り、人事考価、経営者たるもの・・・・、給与体系、高校時代の”食堂のおばちゃん”、名古屋の花屋に転職した後輩・・・・・そして、私の父親に対する尊敬の気持ち、父親との”絡み”、兄弟の話・・・・

その二日間の滞在中、彼は、いつにもまして寝る時間を惜しんで、私と愛し合った。

そこに、イヤらしい「欲情」はなかった。

一緒にいたい、もっと知りたい、もっと・・・・そう、貪欲なまでに。

こんな関係になってもまだ、警戒心を完全に解かなかった私が、少しづつ解放されていく。

 もっと単純に考えてもいいじゃん。

 私は彼が好き、彼も私が好き。

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欲情

セックスに淡白だと思っていた「友達時代」(笑)

それは、お互いに。彼と話をしていて、いわゆる「シモネタ」なんてなかったし(まあ、友達とはいえ私が女ってのもあるけど)、何かの時に「俺なんて、彼女と2週間に一回くらいかな?」なんて言ってたのが、一度だけ聞いたことのある遠い記憶。

男と女になって、不倫という汚名を受け入れて半年。彼は淡白なんかじゃなかった。そして会う度にエスカレートしているような、そんな気がした。

「○○(私)って、エロイよな」

彼は何の躊躇もなく言った。私の体が好きだと。

決して豊満な肉体とは言えず(苦笑)、胸も控えめ、お尻も下がっている。

今回東京に来て、名古屋で会った時と比べて、というより今までのなかで一番”会話”はすくなかった。ホテルに着いてもかなり長い沈黙の時間もあった。私は、彼が仕事で疲れているから「しゃべり」で彼を疲れさせたくなかった。彼は彼なりにいろいろ話をしてくれたはずだった。だから、そこは別に不満はなかった。ただ、今までとは何かが違う気がした。彼の私に対する温度だろうか。

寄り添って欲しかった。手をつないで欲しかった。今までみたいに、私の髪に、頬に触れて欲しかった。

彼は大きな仕事を終えた動物のような荒々しさで私を抱いた。その勢いに身を任せるも、心は少し寂しい気がしていた。彼は満足していたんだろう。一緒にお風呂に入り、上がった後、私は名古屋でしたのと同じように彼の肩や腰、足・・・・全身をマッサージしてあげた。そうしたかった。疲れを癒して、私に甘えて欲しかった。もちろん、彼はそれを望んでいたし、喜んでいた。 そして、また抱き合った。私には、愛よりも彼の欲情を強く感じた。仕事をバリバリこなす男は夜も強いとはこのことなんだろうか(苦笑)  もっとゆっくり、優しく、彼の愛情に包まれることを望んでいた私は、大きなダブルベッドの真ん中を陣取るように眠る彼を恨めしい気持ちで見ていた。もちろん!?腕枕どころじゃなかった。

翌朝。

「私、こんな大きいベッドで”枕”もとられるし、隅っこだし、HAに寄っていったらあっち向くし、愛がないっ!(笑)」とすねてみた。彼は笑っていた。

その日は横浜の中華街に行った。中華まんを食べたらもうおなか一杯で(彼も私も割りと少食)、挙句の果て、龍や爆竹のパレードにことごとく進路を邪魔され、散々な思いで(笑)横浜スタジアムの脇にある公園でビールを飲んだ。陽だまりが暖かく、えさを探しながら歩く鳩ものんきに見えた。

帰ろうかという彼に、「あーぁ、結局”港”の方には行けなかったね」と言ったら、「じゃあ行こうか?」と言ってくれた。言ってくれたなんて表現、冷静に考えればおかしいけど、彼は行きたくないとなったら行きたくないから、私の望みが叶うとなぜかうれしかったりした。

途中のコンビニで「男梅」という、梅味のタブレットを彼は購入した。「これ雑誌に出てたんだよ~。一度食べてみたかったんだ。」

多分R25(フリーペーパー)かなんかだろう。まあ、金沢にR25はないんだけど(苦笑)  彼はひとつ口に入れ、「あ、これうまい。お前も食えよ」と、私の口に一粒入れてくれた。そんな仕草も意外だった。私は今まで、彼に「ガムくれる?」って言われたら、包まれたまま手渡ししていたが、彼は食べさせて欲しかったのかな?なんて思った。彼がそうしたから。

確かにおいしかった。そして、顔の両脇の首との境あたりが痛くなった(笑)。すっぱいものを食べたときに起きる、その唾液の中枢みたいなものが痛かった。笑いながら、「笑ったらなおさら痛い」とかわーわー騒ぐ私に、何回も食べさせてくれた。  そう、私が望んでたのはこんな感じ。たわいもなくて、何気なくて、うれしくて・・・・・・・・・。

海は寒かった。彼は「寒い!寒い!」とうるさかった。でも、ほろ酔いもあったし、雪国から来た私には「たいしたこと」なかった。夕方ということもあったし、なにしろ風が冷たい日だった。私はかなり短い「パンツ」スタイルにストッキングにニーハイソックス、ババシャツなし(笑)だったが、平気だった。

トイレに行った後、彼はいつもぬれたままの手をぶら下げて私を外で待つ。ハンカチ待ちなのである(苦笑)。 でも、彼はそうしてなかった。「ハンカチいらないの?」と私。「おう、手洗わなかった」  「えーっ!!!汚い!!だって、あれでしょ・・・・・・持ってるんでしょ?(汗)」 彼は「だってよ~、寒いんだもん。平気平気、だって自分のだぜ。自分の肌触ってんのと変わんないよ。大丈夫だよ。」

彼はまた「男梅」に手を伸ばし食べ始めた。嫌な予感がした。間髪入れず、彼は私の口にその一粒を運んだ。ためらったが、もう唇にひっついてしまったタブレットを断われなかった。  「手、洗ってないのに~・・・・・・・・・・」  彼は大笑いだった。「ああ、それで、すっげーやな顔してたのか、なんでそんな顔すんだよって思ってよ~」

好きだから許せる?(笑)  まあ、後日彼のメールには「今日はちゃんと手を洗いました」とあったから、反省はしたのかな?

その日も彼は、激しかった。今までにしたことないことをした。どんどんエスカレートしていた。彼は、私のこと愛してるのかな? ねぇ、神様? 彼は私の身体だけが好きってこと、ないよね?

昔あった、忘れていた甘くて切ない想いを味わいたくて乗ったこの列車は、いつの間にかオトナの欲情で一杯の世界を通過中であり、「彼と一緒にすごせる」駅に到着すると、時間をかけてもそこにいつかはたどり着けると思っていた私は、彼に抱かれる度に不安が大きくなっていた。

この列車の終着駅は?

金沢に帰ってからの、彼からのメールもそんな感じだった。相変わらず忙しいようだったが、「○○(私)のからだが頭から離れない」とか。  私が、コンビにでホコリ叩きを支給されうれしくって、「○○(私)は”道具好き”だから・・・・。(実際、花屋で使うハサミやナイフにはこだわりがある)」とメールすると、「そうか、道具好きか。今度は一杯道具使ってあげるheart01」と返してきやがった(苦笑)  いままでになかった、こんなメール・・・・・。

そういうわけで、なか2週間で名古屋で会うことになった。あんなに冷たかった1月から一転、(途中で、バレンタインプレゼントと手紙を職場に郵送したこともあったから、と思いたいけど)、彼はまた、「会いたい」攻撃を開始した。

ねえ、これって愛されてるの?私。

コンビニでエロ本コーナーの本を整理しながら、「40、人妻、アラフォーとかのエロ本って売れないのね~・・・。」と思いながら、ホコリを叩く。

私、喜ばなきゃいけないの?(汗)  複雑な思いは続く。だって他にも心配事が・・・・・・。

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オール5、HAという人間

翌朝、寝坊はしなかったが、作品を夢中で作成した後の我が家は悲惨な状況で(苦笑)、あまりにひどかったので片付けに追われていたら、予定の電車より一本遅らせることになった。何せ購入した花の半分しか使用しなかったので、残りの花を水揚げしなおし、鉢物の花は外に置いて水をやり、引き下げてきた作品に挿した花も全部抜き取り花瓶に入れなおししていたら、1時間以上はかかってしまった。

金沢駅で、日経ビジネスAssocieを購入した。知的レベルを上げるためだ(笑) HAに会うときはいつもそうだが、一週間分の新聞の一面や政治経済ニュースを拾い読みしたりして、知的レベルを上げないといけない・・・・・・・・・・・・・・・・・・、ってこともないんだろうが、そうしたくなる理由があった。彼はそんな一日中政治経済を語る人間ではないが、時々そんな話題を出す。「麻生が」「小沢が」「ユーロが」・・・・・・・・。彼と対等に政治経済を語る必要はない。ただ、「ああ、知ってる」という顔で聞いているのとそうでないのとは大きく違う。そして、彼は、「ああ、それね」「その事件ね」「その判決ね」「その条例ね」という顔で(決して知ったかぶりはしないが)、態度で、彼の話に耳を傾けるの私が、好きなのだ。

だから会うときはいつも、お肌のお手入れはもちろん、体重が増えないようにすることはもちろん、無駄毛のお手入れはもちろん(笑)、頭の中も整えておかないといけないのだ。というより、そうしておきたくなるのだ。

背伸びをしてるって?無理をしてるんじゃないって?

それが苦じゃなくて喜びで快感だったらどうする?(笑)そんな男に抱かれたいと、この胸が、子宮が欲したらどうする?

服装だって、化粧だって、髪型だって、「私自身が気に入ってる風」をよそおいながら、本当は彼に好かれようとしているのがみえみえでもいいじゃない、恋愛ってそういうもんじゃん。

特にこの一週間は「花」に全力投球したお陰で、世の中のニュースなんて何にも知らなかった。私はビジネス雑誌を片っ端から”みっちり”読みながら、暖かい日差しに包まれる富山の、新潟の農村の冬景色を時々車窓から見ていた。雪はほとんどなかった。

東京駅には3時過ぎに到着し、そのままホテルに直行した。まだHAからなんのメールもなかったが、連日激務で働き、昨夜も朝の4時過ぎまで仕事をしていたんだから、今日も5時過ぎるまでは会えないだろうと思っていたから不安はなかった。作品作りに忙しいさなかに探したホテルは、新橋駅から近く、窓からは東京タワーと夜景がきれいに見える部屋だった。

予想通り、彼は5時過ぎに現れた。よく寝たお陰か、すっきりとした表情だった。1ヶ月半ぶりに会うからなおさら気恥ずかしい思いがした。彼が来るまでに、コンビニで水やビールを買って用意しておくことを忘れなかった。彼がいつもホテル代をもってくれるので、そうしないわけにはいかなかった。

銀座のITO-YAに行った。彼がいつも使っている(高そうな・笑)ボールペンの替え芯が欲しいと言ったからだ。あん?替え芯?明日でもいいじゃん・・・・・って思うけど、彼は今現在の欲求が満たされないと次の行動に移れない性分だから、ここは素直に従う。もう慣れっこになっていた。銀座なんて人の多いところ、知っている人に会わない?大丈夫?なんて思いながら・・・・・・。陽気にしゃべる彼の横を、半歩遅れて歩く。後ろめたい気持ちはいつだって隣り合わせなんだから。

「すき焼きとしゃぶしゃぶだったらどっち?」と彼。「すき焼きかな?タマゴ好きだから」と私。「ああ、俺もなんだよね~」。

私たちはことごとく意見をぶつけ合うのに、食べ物の趣味は似ている。欲の共感は大きいのかも知れない。 今回の花のコンテストの話は、そのほとんどをホテルで話してしまったし、私は彼の話が聞きたいから、彼がメインで話はすすむ。彼の仕事は人事だから、その一人ひとりの「異動先」に苦労している。

「もう人身売買の世界だよ」

都庁職員の業務成績は5段階、「5」の評価は全体の1割、「4」は2割、「3」がもっとも多く4割以上、「2」「1」は1割~2割。「1」はほとんどないという。

「5」の職員を異動させるときは、逆に「5」の職員を他から「とって」こないといけない。異動が成立しない。つまり成績で異動先、トレード対象が決まってくるわけだ。そして、昇格にも頭を悩ます。成績、入庁年数が横並びの職員が4人いても「係長」のポストが3つしかないとき、慣例では「産後・育児休暇」を取得した人(結局は女性)は外される。

「それっておかしいだろう」と、彼。

「どう考えたって、今は女のほうが仕事できるんだよ、現実。育児休暇をとったら昇進・昇格が遅れるってなったら、誰も子供なんか産まなくなるだろ?少子化の原因じゃん。それに、出来る(女性)職員の意欲も奪うし」

「でも」、と私は言う。

「出産っていう人生の選択を彼女は選んだのだから、そりゃー、30代は昇進とか遅れちゃっても、しょうがないじゃん。どんなに仕事ができようと、その職場にいなかったのは事実なんだし。30代だけで損得を考えるからいけないんであって、50代になってどうよ。そこで昇進が人(男性)より遅れることがそんなにマイナスになってるのかな~?できる人なら、尚更影響ないでしょ。むしろ、育児に重点を置いたが為に、仕事の第一線から”いっとき”身を引くことが、その人の人生にとってマイナスになるとは思えない。本当にできる人ならね。 確かに、女性の方が仕事が出来るってのは想像つくよ。マジメだし。でも、私からすれば、男の人生と女の人生は違うのよ。デキル女の人生って、出産で左右されたり、ましてや”損”しないと思うけどな。」

「都庁は他の道府県と違って、女性の管理職の割合が高いんだ。これからはもっとそうしていかないといけないし、結局官公庁だって、「利益」を追求されていくから、できる職員を管理職において重宝しないと、生き残っていけないんだよ。」

「わかるよ。営利を追求する会社なら、男女別なくデキル人材を確保しなきゃいけない。でもさ、少子化云々の話を混ぜると、違うと思うな。仮に、育児休暇取得しても昇進が保障されているとなっても、じゃあどんどん産もうって思わないんじゃない?むしろ、仕事で評価されることが多くなると、仕事にのめりこんで”出産”っていう選択しないんじゃない?

うちの店長(44歳・女)さ~、もう結婚になんてこれっぽっちも興味のない人で、仕事一筋にきてさ~、最近ことあるごとに、「一人くらい子供を産んでおけばよかった」って言うの。40過ぎて急によ。シングルマザーになってでも・・・・だって。女の出産には「期限」があるからこそ、一番大事な時に仕事を選んでしまうことが、結局は”後悔”につながる気がするのよね~。女には男と違って、そんな大事な選択もリスクもあることを承知で社会でどう生きていくか、評価を得るかを考えなきゃいけないわけで、だから・・・・・・・・・・・なんて言えばいいの?私は、昇進が約束されているから安心して出産・育児、って言うのじゃなくて、何かを得たら何かを失う、それでも、出産という選択を選んで、そのぶん一生懸命子供を育てることに頑張ればいいと思うの。やがて、子供は大きくなる。本当にできる人なら、そこから復帰しても、彼女自身にも、そして「会社」にも損はないと思うんだけど・・・・。」

「俺たちはそんなに違ったことを言ってないんだよ。お前の理解力が足りねーんだよ(笑)」

私たちの会話っていつだってこうだ(苦笑)

自分論の目白押し、そして両者一歩も引かず・・・・・・・・・・。かわいくないね、私。

「で、」と私。「HAは人事なら、その評価を見ることはできるんだよね~・・・・。」

「見れるよ、俺と、もう一人、課長補佐な。」

「で、どうなの?」

「過去5年間しか見れないようになってんだけど、ここ最近(5年)は”5”かな。・・・・・・・・・(彼は自慢話が嫌い)ああでも、前の職場の時は多分”3”だろうな~(笑)。定時に速攻帰っていたし、職場であーだこーだ愚痴ってばかりいたし・・・・・」

彼はその”1割”の人間か・・・・・・・・・・・・。

私は何も疑っていない。ああ、彼ってそんな人。反逆児で、簡単には周囲に迎合しない人間だけど、結局”デキル人”。

職場で彼一人だけ「鉛筆」を使い、鉛筆削り(電動)機を自分の席に置き、身分証明証の写真は入庁以来一度も替えず(そんな人いないらしい)、首から下げるそのクリアケースもセロテープで補修して使い(職場にいくらでも新品があるのに)、あぐらをかけないといやだから、一人で綿のでた古い大きい椅子を(ゴミ置き場から拾ってきて)使い、そっくり返って書類に目を通す。

そう、彼ってそういう人。

「ねえ、今度異動なんでしょ?」と私。「その椅子、背中に担いでいくの?そのまま置いていったら、次の人大迷惑じゃん(笑)」

「そうだよな(笑)」

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ジャパンカップ北陸ブロック予選・2

会場に着いたのは、制限時刻の30分前だった。最後の手直しをし、コマに自分の作品を置く・・・・とここで思わぬ事態に遭遇した。サイズがオーバーしているのだ。これにはあせった。展示室に一旦入ると、花には一切触れてはいけない。右にずらしたり、左にずらしたり、奥に押しやったりして、ずいぶん時間をとってしまった。それでも制限時間をオーバーすることはなかったが、サイズオーバーで失格になるかもしれない・・・・・・という可能性が浮上した。

展示室を出ると一挙に力が抜けるような感じがした。そこには店長がいた。やっぱり店長の作品は何倍もキレイだった。というか、その展示室を出る際に他の競技者の作品もいやおうなしに目に入るのだったが、どれもすばらしく見え、恥ずかしくてすぐさまその場を去りたい気持ちでいっぱいだった。

一次予選、二次予選は同じ「持ち込みのアレンジ」で評価される。その二次予選を通過した人、6人がファイナル出場という流れだ。二次予選通過者が発表されるのは午後2時。この3時間の「審査時間」を、私は「美顔エステ」に充てていた(笑)。だって、明日はHAに会う日なんだもん。そっちだって抜かることはできないわ。極限に疲れていたのに、まだ眠気は襲ってこない。私はエステに向かった。

向かう途中のコンビニで、私はHAにメールを打った。

「・・・・・・・サイズオーバーで審査対象外になるかもしれません(苦笑) でもいい勉強になりました。これに懲りずこれからも頑張るからね!」みたいな内容だったと思う。

エステの台に寝かされると、さすがにうとうとし始めた。正味2時間のエステだが、完全に寝ていたのは30分もないと思った。頭が冴えすぎているのだ。

エステが終わり化粧を始めたころ、携帯をチェックすると、HAからのメールと着信があった。花屋の子からだった。折り返し電話すると、「○○ちゃん(私)、今どこにいる?一次通っとるよ!店長一次もダメやってんよ!」

あわてて会場に戻った。心臓がばくばくした。2次も通っていたら・・・・・・ファイナルだ。まさか、それはない。でも・・・・・・・・・。

駐車場もほとんど走ったが、途中で息が切れてだめだった。そして、2次もだめだった(笑)  やっぱり・・・・・・・・・・と思ったのと、安堵に包まれた。店長より成績がよかった事で満足していたのかもしれない。2次を通過していた作品はどれもすばらしかった。富山・石川・福井の三県の中で、ファイナルに残った6人は全員石川県の人間だった。

店長から電話があり、私が2次を通過できなかったことを告げると、若干残念そうだった。

その後も、ファイナルを見学した。6人のうち2人は明らかに「下手」だった。それは誰の目にも明らかだった。持ち込み作品は「本人」だけで製作したかどうかは見えない。だが、壇上に上げられ、「花束」や「アレンジ」を即興で作成すると、その人の真の腕前が露呈する。彼女たちはびっくりするほど「ダメ」だった。持ち込み作品のすばらしさとかけ離れていた。初めて、「悔しい」という感情が芽生えた。この二人になら勝てたのに・・・・・・・・・、と真剣に思った。もちろん店長だって同じ考えだった。6人のうち3人が全国大会に出場できるのだが、もう結果を知るまでもなくわかりやすいほど、その仕上がりに大差がついていた。

それがジャパンカップ・・・・・・・・・・・・勝負の世界なのかもしれない

その後、有名なフローリストのデモンストレーションも見た。一流はすごかった。北海道の人なので、彼女の作品を目の当たりに出来るチャンスはそうそうないのかもしれなかった。私は彼女のことは知らなかったが、店長によれば、今から15年以上前、このフローリストの世界を一新した存在で、もちろんジャパンカップにも何度も優勝経験がある。彼女の両親は有名な画家・彫刻家で、芸術家の家系だという。その類稀なセンスゆえ、審査員のレベルが追いつかず、ある大会で不遇な目にあい審査対象外となり、そのままジャパンカップから姿を消した・・・・・。しかし、彼女のセンスは花だけに留まらず、器や雑貨のデザインも手がけ、世に出回っているという。彼女の名前を知らなくても、彼女のデザインした雑貨などは、今日でも高価で売られているという。

たいていの人に花のコンテストの話をすると、こう返ってくる。「芸術なんて見る人によって高評価になったりならなかったりするから・・・・・・・・・・。」だから、芸術なんてわからない、というものだ。 確かにそれはある。

でも一流は違う。一流は誰が見ても、芸術がわからなくても一流なのだ。だから、花以外の雑貨も売れたんだ。それはわかりすぎるほどの現実だった。多くの人に、否、HAや自分の身の回りの人だけでも、それをわかって欲しかった。私は、基準らしい基準のないあいまいな芸術の世界に、一か八かの賭けをしてるんじゃないと。そこには、一定の、明確な美の基準があるんだと。

今回の大会の審査員は、私の作品を好む二人だった。一人は竹や炭等が好きな審査員だったから、私は一次を通過できたのかもしれなかった。もう一人は石川県予選の時に、審査員のほうから「あなた、良かったよ」と言ってくれた人だった。そして、店長は調子が悪かった。(大会を見に来ていた)他の花の先生にも、ダメ出しをされていた。すべては「私に有利」だった。そして、私はその絶好のチャンスを生かせなかった。

私は少々落ち込んでいた。なによりチャンスを生かせなかったことが悔しかった。店長は自分が一次を通過できなかったせいなのか、私とほとんど会話をしてくれなかったが、最後の方には、持込作品の一つ一つの「良い悪い」を教えてくれた。私には他の人の作品を冷静に見れる目がなかったし、(見に来ていた)花屋のスタッフも、何が良くて何が悪いのかわからない・・・・と言っていたが、店長はその評価の基準がちゃんとあることを教えてくれた。ぴりぴりしている店長のそばにはなるたけ居たくなかったが、これも勉強だ。

48時間以上起きているにも関わらず、その日の日付が変わる頃まで眠れなかった。

明日、東京に到着するのは予定より遅くなりそうだな・・・・・・・・・・と思った。

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